ほうじ茶の日記

ドラマ感想を中心に日々のことを添えて

【ドラマ感想】コンフィデンスマンJP 家族編

泣きに泣いた家族編。後半は嗚咽を漏らしながら視聴した。
前に、島本理生の「よだかの片想い」を読んだとき、真面目さが人を救うっていうシーンに遭遇し、その時の私はそれに救われたし、今も時折思い出して支えになることがある。今回の話は、弱さと甘さが人の心を救った話だと思う。


胆は何といっても竜雷太さん。厳しさの中に親しみやすさと温かさをひそませ、極道の親分役としての容赦のなさや女癖の悪さを覗かせつつも、家族(偽)と戯れるシーンでは好々爺を演じている。ほんと大好き。


ダー子と、巣鴨のキンタ・ギンコが引き揚げてしまったシーンでは、体の内側からさらさらと崩れるような虚しさでぼんやりしてしまった。竜さん演じる世論要造が病院から帰ってきたとき、閑散とした家を見てどう思ったんだろう。

ボクちゃんが残るって決めてくれた時、これまでの話ではその甘さに少しいらっとしてもいたのだけれど、今回はその存在に救われた。だって、世論要造は分かってるんだもん。自分の元に集まってきた人たちがお金目当てだって。それでもよかったんだよ。偽物でも、もうすぐ人生が終わるというときに家族の夢を見させてくれたんだから。ふわふわとした温かさで包んでくれたんだから。本物の家族に冷たくされるより、偽物でもいいから優しくされたいって思うよ。弱い? 惨め? それでいいじゃない。


リーガル・ハイの時のようなスカッと感はない。ダー子を非難したいし、後味がちょっと悪いし、複雑。その点でいうと、ボクちゃんの役回りが本当に重要で、真っ当な感覚を持つ視聴者(マジョリティー)の立場でものを言うことによってあの世界のバランスを保ってくれる。でもv.s.長沢まさみだと力負けしているので…頑張って…(リチャードはダー子寄りだから、元々2対1で分が悪いんだけれどね)。


最後の花火大会はずるい。まんまと泣かされた。
花火を見る場所は、毎年の家族の特等席。地元で有名な元経済ヤ○ザの資産家なのに、金にものを言わせて席をとるわけでもなく、"穴場"の丘の上。その朴訥さが最後の演出に一役買っている。
ばらばらになった詐欺師たちが要造のために再び集まり、酒を酌み交わす。同じ花火を見上げ、故人を偲ぶ。

遺影ではなく位牌というところがまたよかった。視聴者にあの優しい笑顔を想像させる余地をつくってくれて、要造が現れたときも、あ、いる、一緒に花火を見てる、って自然に思えた。
血のつながり? 家族? 詐欺師とそのカモ? 他人がつけたラベルはもはや不要。その人が生前感じていた、ぽかぽかとその人を温めてくれたものをその外側にいる人間が断ずることなんてできない。
打算で集まった他人の寄せ集めでもいいんだよ。偽物だからこそ優しいという側面はあるけれど、他人だからこその距離感が人を幸福にしてくれることもあるんだよ。


最後の最後、写真のシーン。想像はついたれど、実際に見ると涙がとまらなかった。「俺の本当の家族だ」といって、ダー子やボクちゃん、巣鴨のキンタ・ギンコ、最後に愛した女性とともに写った写真を見た時の、目をつむった満ち足りた表情。
“偽物”というのも他人がつけたラベルだったんだって気づかされた瞬間。
もろくて柔らかくておいそれとは誰かに渡せない「何か」を体現してくれた素晴らしい役で、素晴らしい回だった。