'18 夏ドラマ感想『グッド・ドクター』1話&『義母と娘のブルース』1話
*ネタバレあり
新しいドラマが始まったら、とりあえず一通り1話を観て、今後も観るかどうか決めることにしている。
現在までに観たのは、
・高嶺の花
・グッド・ドクター
・義母と娘のブルース
の3作品。
以降も継続して観ようと思ったのは、『グッド・ドクター』と『義母と娘のブルース』。
グッド・ドクター
あらすじからして良ドラマの予感がしていたけれど、やっぱりよかった。
まず山崎賢人くんの演技がすごかった。サヴァン症候群の小児外科医という難しい役を見事に乗りこなしてて思わず見入ってしまった。
台詞が長くて専門的で大変だったろうになあ。
脇を固める役者たちも豪華。
上野樹里、藤木直人、柄本明、板尾創路…すごい、すごい。
特に、山崎賢人くん演じる湊を、柄本明さんが宥めるシーンがとても好き。
人命救助のために遅刻して動揺する湊の手を、両手でそっと包み込んで、
「大丈夫。誰も怒ってやしないよ。いつもはきちっと時間をきちっと守る」
と言い聞かせてくれる。
優しい、観ているこちらも安心する。
このまま医療ドラマの王道を行くのかなあと思っていたラスト数分、立て続けに登場した「謎」に、うわっ!!となる。
湊を邪険に扱う藤木直人が持っている写真は湊? それとも、藤木直人の親族? 何故その写真を大事そうに手帳に挟んで持っているの?
湊&兄は「父親」から逃げていた?
中心となるストーリーを示しながら、単なる「感動ドラマ」で終わらせない、一癖も二癖もある人物たちと、謎のちりばめかた。
うまいなあ。
韓国ドラマには、魔王や銭の戦争やシグナルなどの良作が揃っているので、その点でも期待大。
義母と娘のブルース
綾瀬はるか!!! 大好き。
本ドラマでは、家政婦のミタのようなニコリともしない役。
ただミタと違うのは、何事にも全力投球ということ。
再婚相手の娘に打ち解けてもらうために、大真面目に生真面目に愚直に、真っ直ぐなんだか斜め上なんだか分からない努力する様が笑いを誘う。
手段を選ばず、狙った案件は必ず落とす。
胸元からハンカチを取り出し「社長、あたためておきました」からの、社長の不倫現場を押さえた写真がハラリ…。
"手段を選ばない"ってそっちか !!!
繰り出される85度お辞儀、娘に履歴書を提出する綾瀬はるか、スカイウォークアスレチックで宙吊りになる二人*1、不動産のおばちゃんの変わり身の早さ……。
そして、真面目な顔のまま披露する腹芸。
「亜希子の腹芸をご覧あれ、ピヨ、ピヨ。鋭意善処します」
大爆笑。ドラマでこんなに笑ったのは久しぶりっていうくらい笑った。
ちょっと変わってる亜希子だけど、相手の竹野内豊はそれを平然と受け流してるのもキュンとした。
部下の田口くん(浅利陽介)が綾瀬はるかのお腹に絵を描いているときはドキドキ。役得だなあ。
ビジネス手腕のすごさも見ていて気持ちがいいし、何より、8歳の娘を子供扱いせず対等な人間として接しているのがとてもよかった。
再婚話、家族の話って重くなりがちなところを、コメディでくるんで気負わずに見られるようになっている。
佐藤健の役どころも謎がある。OPに主要三人以外に登場している唯一の役なので、キーマンになってきそう。
今後の展開が楽しみ。
『かがみの孤城』の次に読みたい3冊+α
『かがみの孤城』(辻村深月)を読んで、こんな感じの本をもっと読みたい! と思った人のために記事を書く。
*ただの趣味の産物です!
"こんな感じの本"といっても捉え方は人それぞれあるので、もちろん私の主観によるチョイスです。
『時計坂の家』高楼方子(たかどの ほうこ)
幼い頃、没頭して読んだ思い出の本。
ひと夏の不思議でファンタジーな体験、うっとりするような世界観と小道具、そこに入り込むドキドキするようなミステリ、大人の嫌な機微を感じ取ってしまってしまう子どもの敏感さ。
図書館で偶然この本を見かけるまで読んだことすら忘れていたのだけれど、表紙を見た瞬間に当時の感覚が甦った。
(この本!! 読んだ!! 夢中になった! 高楼方子さんの本!!)
実はストーリーは殆ど忘れてしまったが、とにかく面白かったこと、没入感がすごかったこと、高楼さんの本はどれも面白かったことを覚えている。
『カラフル』森絵都
どこの学校図書館にも置いてあるだろう、有名すぎるほど有名な一冊。
『かがみの~』とテーマ性で近いものを挙げるなら、これを思い浮かべる人も多いはず。
号泣必至。
かつて森絵都さんを読んだことはあるけれど、もうちょっと大人向きのはないの?
って聞かれたら、迷わず『風に舞いあがるビニールシート』を薦める。
『冷たい校舎の時は止まる』辻村深月
辻村さんのデビュー作。
デビュー当時、友だちにオススメの作家がいると教えてもらって薦められたのが『子どもたちは夜と遊ぶ』で、あまりの面白さに同じシリーズじゃなきゃ嫌だ、という思いから肝心の第一作目には手が伸びなかった。
もっと早く読みたかったと後悔。
話題の『かがみの~』を読んでみたものの、辛さやしんどさが肉迫してこなかったな、ターゲットから外れているんだろうな、と思った人は、こちらを手にとってもらいたい。
+α
TVドラマ『君といた未来のために 〜I'll be back〜』
大好きなドラマ。タイムトラベルものの原体験。
1999年のドラマなので、知らない人も多いと思う。
あらすじ
人生をやり直したいと思っていた主人公の大学生(堂本剛)が、2000年を迎える瞬間、1995年に戻ってしまう。戸惑いながらも今度は人生を有利に進めるが、2000年になる直前、また1995年に戻されてしまう。何度かやり直すうち、自分以外にもやり直している人間がいることに気付き……。
佐野史郎が怖かったのと、cobaさんのアコーディオンが印象的だった。
当時は、やり直せるっていいなぁと思っていたけれど*1、反面、どことなく怖かった。
脚本家は、大石哲也、吉田智子。
wikiを見たらビックなお二人*2で軽く衝撃を受けたのと同時に、このドラマの面白さにも納得。
【感想】『かがみの孤城』辻村深月
*『かがみの孤城』のネタバレを含みます。
本屋大賞*1を受賞してあちこちで目に触れることが多くなった『かがみの孤城』。
学校生活から離れて久しい身としては、教室内の人間関係や休み時間のやり過ごし方、目に見えぬカースト制度等々、海馬のどこに眠っているんだというくらい記憶たちがしんと静かにしていたため、『かがみの孤城』は、主人公ではなく作中に登場する大人たちに近い目線で接していた。
そんな私がこの作品に深く感じ入ったこと、考えたこと。
あらすじ
学校での居場所を奪われた中学一年生のこころ。ある日、自分の部屋にあった鏡が光り出し、鏡の向こう側の世界に誘われる。
果てしてそこには、「城」と呼ぶにふさわしい建物があり、狼の面をした少女が立っていた。
城には、こころと同じ境遇の子どもたちが集められており、狼面の少女は彼ら・彼女らにある「ゲーム」に参加する権利を与える。
こころたちは戸惑い、迷い、お互いの距離を測りながら徐々に打ち解けていく。
しかし、"この世界"と"ゲーム"にはいくつかのルールがあり、それが子どもたちを苦しめていく。
やがて全てが明らかになった時、こころが目にしたものとは? 子どもたちの選択とは――?
暴力に対する本能的恐怖、他者の理解
親の留守中、こころの家に加害者たちがやってくるエピソードがある。
こころ自身が直接会うことはなかったが、それは明確な暴力だった。
そしてこころは、自分が暴力の嵐に遭ってなお、家という大事な場所に踏み込まれたことを母親に心の中で謝るのだ。つらい思いをしたのは自分なのに、真っ先にケアされるべきはこころなのに、謝ってしまう。
こころの優しさに胸が詰まった。
こころがそのことを母親に話せたのは、しばらく経ってからだった。
私はこのとき、母親の反応が怖かった。大げさだと片付けてしまうのか、叱るのか。
こころの母親は、「ごめんね」「怖かったでしょ」と寄り添ってくれた。
涙が滲むほど嬉しかった。
お母さんが分かってくれて、心底よかった。
こころちゃんを責めるような母親でなくて、本当によかった。
その母親自身、担任に娘に起きた出来事を伝えるとき、「信じてもらえるかどうか分からなくて怖かった」と語る。
大人同士の会話ですらそうなのだから、子どもが大人に話すときはもっと怖いだろう。
うまく伝えられないもどかしさ、不安感、十把ひとからげのよくあるエピソードとして片付けられてしまうことへの悲しさ、絶望感。
大切な人の言葉を信じる、ということ。
最初は「母親とこころ」を軸にそれが描かれていたのが、やがて「担任とこころ」に 遷移する。
しかし、「担任とこころ」は次のように決着する。
言葉が通じないのは――、子どもだからとか、大人だからとか関係ないのだ。 (略) 自分がやったことを正しいと信じて、疑っていない。 彼らの世界で、悪いのはこころ。 (p383)
この、他者との圧倒的な絶望的な隔たり。
言葉を尽くしても相手に届かない無力感。
自分が受けたことを100%そのまま相手に伝えられない悔しさは、大なり小なり誰もが味わったことがあることがあると思う。
だが、少し冷静になると、誰もがこの「担任」側になりうるのではと気づかされる。
例えば、家族や友人から、ツライことがあった、イヤなことがあった、腹立たしかった――そう告白されたとき、あなたにも非があったんじゃない? という"思い"を一度も抱いたことがない、という人は少ないのではないか。
もしくは、ニュースを見て、被害者に対してすら、この人も悪かったよね、と思ったことはないだろうか。
この担任を支持するわけではない。
腹が立つし、加害者に対して返事を書けだなんて、無神経を通り越して暴力ですらある。
でも人は結局、自分が思う"正しさ"でしか誰かを判断することができない。
その意味では、誰もがこの「担任」と同じ要素を持ち合わせている。
そう考えると、フリースクールの喜多嶋先生の台詞にも納得がいく。
「真田さんは真田さんで、思いも、苦しさもあるんだと思う。(略)」 (p397)
何故こころちゃんの前で加害者を擁護するようなことを言うんだろうと嫌な気持ちになったが、誰かを一方的に断罪したら、それは「担任」がしたのと同じ行為だ。
担任とは違う。喜多嶋先生が信頼できるというのはそういうことなのだろう。
学校教育に思うあれこれ
つらく閉そく感いっぱいの中でスッキリした台詞。
「(略)きっとろくな人生送らないよ。十年後、どっちが上にいると思ってんだよって感じ」 (p408)
いいぞ萌ちゃん! すかっとした。
友達の悪口をいっちゃいけない、仲良くしなくちゃいけない。
そういうのを全部吹っ飛ばしてくれる気持ちよさ。
趣味も、育ってきた背景も、考え方も、話し方も、大事なものも全く違う人間たちが何十人も狭い教室に押し込められてんだから、「みんな、仲良くしましょう」は無理ゲーです。
大人も、自分にできないことを子どもに強いるのはやめたほうがいいよね。
いじめと学校教育で思い出すのが、『ミステリと言う勿れ』(田村由美)。
欧米の一部では いじめてる方を 病んでると判断するそうです
いじめなきゃいられないほど病んでる
だから隔離してカウンセリングを受けさせて 直すべきと考える
日本では逆です
(略)
逃げるのってリスクが大きい
学校にも行けなくなって 損ばかりする
(略)
病んでたり 迷惑だったり 恥ずかしくて迷惑があるのは いじめてる方なのに
ほんとこれ。
映画『アリス・イン・ワンダーランド』にも同じ精神が通底する台詞がある。
主人公アリスが、姉の旦那である義兄の浮気現場に遭遇したとき、姉に恥をかかせたくなければ黙っていろと口止めされる。
アリスはとっさに、「恥ずかしいことをしているのはあなた」と眉を顰めて突っぱねる。
アリスの芯の強さ、動じない心、真っ直ぐに本質を見抜く目が垣間見えるいい場面。
子どもの頃の約束を守った大人たち
孤城の仲間、スバルとアキ。
スバルは、
「目指すよ。今から。"ゲーム作る人"。マサムネが『このゲーム作ったの、オレの友達』ってちゃんと言えるように」(p523)
と宣言した通り夢を叶えた。
自分とマサムネ、二人分の夢を。
「ナガヒサ・ロクレン」は「長久 六連星」。
六連星は昴の別名。
やけに具体的な固有名詞が出てくるなと思っていたら、こういうことだったのかと膝を打った。
記憶は失っても意地でも覚えたまま帰るといった、その言葉通りに。
そしてアキ。
喜多嶋先生が誰かに似ている、という描写があったとき、城の中の誰かだろうなあと想像がついたものの、アキだったとは予想外。
未来のアキに助けられたこころが、今度は自分と同年代だった頃のアキを救う。
救い、救われる関係が大好きなので、この構図に感動した。
『ハウルの動く城』ソフィーの「未来で待ってる!」や、"前前々世"が頭の中を駆け巡る。
未来で待ってるのは先に生まれていたアキの方なんだけれど、この物語ではこころの台詞になる。
こころがみんなを助けられたのは、喜多嶋先生がいっぱいいっぱい助けてくれたからで、喜多嶋先生が存在しているのは、こころにいっぱいいっぱい助けられたから。
ロマンチックな構図にくらくらする。
こころがみんなの幸せを願うのが尊く、その成長が眩しい。
逃げてもいいんだよと、異口同音に言う大切さ
いじめ(という名の暴力)で、学校に行けなくなって、どこかに避難する。
現実では難しいけれど、童話や小説ではよく見かけるストーリー*2。
これって、大人たちが「逃げてもいいんだよ」って言ってくれていたんだなって、今更ながらに気づいた。
ずっとずっと昔から、様々な物語にのせて。
本に出会うタイミングは人それぞれあり、読んだときはぴんと来なくても後々効いてくる場合もある*3。
だから、辻村さんがこのタイミングでこの本を書いてくれて、とても嬉しい。
それが本屋大賞に選ばれて、さらに嬉しい。
こんなにも多くの大人たちが、「逃げなさい」って言ってくれているということだから。
*2020年5月16日にリライトしました。
hojichada.hatenablog.com
【映画感想】昼顔
*地上波(2018年6月25日)を観た感想
上戸彩ちゃんが可愛かった。
あんなお嫁さんに、いってらっしゃいってされたい。
蛍色
映画では蛍が重要な役割を果たしたことはいうまでもない。
蛍を観察しながら逢瀬を重ねる二人、蛍の光を模した鉄道の信号、蛍の光を閉じ込めたかのような指輪。
そして二人が再開する前。
作品の冒頭、紗和ちゃん(上戸彩)がシンポジウムのチラシに北野先生の名前を見つけたシーンでも、緑色の虫が使われていた。
この丁寧さに作品への愛を感じるなあ。
あと、どうでもいいけれど、
海の近くに引っ越す→ナレーション「友だちが潮を引くようにいなくなりました」
ナレーション「虫も殺さぬ顔をして生きてきました」→部屋に入った虫を殺そうと(捕まえようと?)する
の対比がちょっと可笑しかった。
何で北野先生死んでしまうん?
殺すことなかったのに…。死んでほしくなかった。
あのまま紗和ちゃん(上戸彩)と幸せになって欲しかった。
本妻がヤンデレっぷりを発揮し始めたときから、早く車を止めろ! と誰もが思っていただろうに。
傷付いた人たちへの救済? 不倫の報い? 世間が納得しない?
北野先生が亡くなりでもしないかぎり、作品としての落とし所がなかったのだろうか。
「キレイ」に終わらせるためにキャラクターを死なせて、視聴者にやるせなさを残すやり方は簡単だけれど、だからこそ選んでほしくなかった道。
(20180715追記)
蛍は死者の魂っていう言い伝えを、唐突に思い出した。
上戸彩ちゃんが線路に倒れこんだとき、薬指に止まったのは北野先生だったんだね。
(追記ここまて)
最後の子どもたちに泣いた
指輪が蛍色とか、 さわちゃんが新しい命を授かっていたとか、それ以上に、
あの日北野先生の講演を聞いた子供たちが自然や昆虫への興味を持ち続けていて、先生が蛍がいるって話していた場所に実際に遊びにいっていることに感動した。
子供たちが自然をもっと好きになるようにしてあげたこと、興味を育ててあげたことが、北野先生尊い。
北野先生が残した目に見えるもの(新しい命)と、見えないもの(好奇心)と、両方描かれていて綺麗だった。
紗和ちゃん(上戸彩)が、蛍の幼虫が水底にいるって教えてもらったとき、
「見えないけど、いるんだね」
に通底するものを感じる。
あと、子供が指輪を発見して(多分)好きな子にあげるところ。
ちゃんと、眼鏡坊やが可愛い女の子に指輪をあげていて、北野先生(斎藤工)と紗和ちゃん(上戸彩)にオーバーラップさせてるのね。
子供たちの無垢さにもジーンとくる。
海の家的なレストランの人たち
オーナーや絹江さん、あゆちゃんたちは世間の声・目として登場する。
前半は、
あゆ「そーだよ、おばちゃん。ウチの背中みてな」
絹江さん「また止まってるよ!」
と辛辣だった二人。
でも、後半の祭りのシーンでは
「さわにゃーん、ウチの背中みてな。」
「ほら、また手足止まってる!」
と打ち解けてくれていた。
それだけに、北野先生が亡くなった後の世界を考えると辛すぎる。
【映画感想】そして父になる
*地上波(2018年6月16日)、特別編集版を観た感想
ストーリーとはあまり関係のない部分から
リリー・フランキーが福山雅治を怒るシーンがよかった
野々宮良多(福山雅治)が、斎木雄大(リリー・フランキー)に「じゃあ、二人ともこっちに譲ってくれませんか」申し出たシーン。
そのときの斎木(リリー・フランキー)のリアクションが素晴らしかった。
普段饒舌な彼が返す言葉を失い、野々宮(福山雅治)の頭を力なくペシッと叩く。
その感じがすごくよかった。
呆気にとられた一瞬の空白地帯。そこから一気に燃え上がるのではなく、憤りが徐々に沸いてくる感じ。
初めて観たときは流してしまったけれど、今回改めて観てすごいな、と。
母親が嘆き悲しみながら息子を叱るときに、似ている。
このやり取りは、年長者が出来の悪い息子を叱っているシーンにも見えた。
見るたびに複雑な気持ちになるお受験シーン
子供たちが体操服に着替えて番号のついたゼッケン(ビブス)を付け、風船をつくって遊ぶシーン。
周りには試験官が立ち、子供たちの行動を観察し、評価している。
このシーンを見るたび、何だか複雑な気持ちになる。
ゼッケンをつけること自体はスポーツで普通行われていることだから、違和を感じるのはそこではない。
おそらく、子供×遊び×番号、という組み合わせがモヤモヤっとするのだと思う。
例えばこれが、大人が何かの競技で己の技術を競い合う場面だったら何とも思わないと思う。
美容師が美容技術を競う大会とか、隊員が消防救助の技術力や体力や精神力を競う大会とか。
大人×技術×番号、の組み合わせ。
子供の素の性格が出やすい遊びの場面がお受験の項目になってるんだなと知り、怖いなと思ったシーン。
帰りたい、からのごめん
リリー・フランキーと真木よう子演じる斎木夫妻の息子、琉晴(黄升炫)が、テントの中で流れ星に祈る。
帰れますようにだけではなく、ごめんと言って顔を覆ってしまうところが切なかった。
子供ながらに大人に気を遣っているのが分かるシーン。
もっと触れてあげて、野々宮夫妻
ゆかり(真木よう子)が薄暗いお店の方を向いて一人でいる慶多(二宮慶多)をくすぐって和ませ、抱き締めたシーン。
地上波でカットされているだけかもしれないけれど、野々宮夫妻が慶多をぎゅーってしてるところが印象にないなあと思った。
大人になるとバグしなくなるんだから、今のうちいっぱい触れてあげてね、と思った場面。
この映画は、父と子の関係をメインに、家族の在り方が描かれている。だからこその「そして父になる」。
でも母もずっと昔から当たり前のように母だったわけではなく、子供が一歳なら母親も一年目、母親になっていく、というのを心に留めておく必要があるなって思う(ただでさえ、母親というものに完全さを求めすぎだし)。
【ドラマ感想】コンフィデンスマンJP 家族編
泣きに泣いた家族編。後半は嗚咽を漏らしながら視聴した。
前に、島本理生の「よだかの片想い」を読んだとき、真面目さが人を救うっていうシーンに遭遇し、その時の私はそれに救われたし、今も時折思い出して支えになることがある。今回の話は、弱さと甘さが人の心を救った話だと思う。
胆は何といっても竜雷太さん。厳しさの中に親しみやすさと温かさをひそませ、極道の親分役としての容赦のなさや女癖の悪さを覗かせつつも、家族(偽)と戯れるシーンでは好々爺を演じている。ほんと大好き。
ダー子と、巣鴨のキンタ・ギンコが引き揚げてしまったシーンでは、体の内側からさらさらと崩れるような虚しさでぼんやりしてしまった。竜さん演じる世論要造が病院から帰ってきたとき、閑散とした家を見てどう思ったんだろう。
ボクちゃんが残るって決めてくれた時、これまでの話ではその甘さに少しいらっとしてもいたのだけれど、今回はその存在に救われた。だって、世論要造は分かってるんだもん。自分の元に集まってきた人たちがお金目当てだって。それでもよかったんだよ。偽物でも、もうすぐ人生が終わるというときに家族の夢を見させてくれたんだから。ふわふわとした温かさで包んでくれたんだから。本物の家族に冷たくされるより、偽物でもいいから優しくされたいって思うよ。弱い? 惨め? それでいいじゃない。
リーガル・ハイの時のようなスカッと感はない。ダー子を非難したいし、後味がちょっと悪いし、複雑。その点でいうと、ボクちゃんの役回りが本当に重要で、真っ当な感覚を持つ視聴者(マジョリティー)の立場でものを言うことによってあの世界のバランスを保ってくれる。でもv.s.長沢まさみだと力負けしているので…頑張って…(リチャードはダー子寄りだから、元々2対1で分が悪いんだけれどね)。
最後の花火大会はずるい。まんまと泣かされた。
花火を見る場所は、毎年の家族の特等席。地元で有名な元経済ヤ○ザの資産家なのに、金にものを言わせて席をとるわけでもなく、"穴場"の丘の上。その朴訥さが最後の演出に一役買っている。
ばらばらになった詐欺師たちが要造のために再び集まり、酒を酌み交わす。同じ花火を見上げ、故人を偲ぶ。
遺影ではなく位牌というところがまたよかった。視聴者にあの優しい笑顔を想像させる余地をつくってくれて、要造が現れたときも、あ、いる、一緒に花火を見てる、って自然に思えた。
血のつながり? 家族? 詐欺師とそのカモ? 他人がつけたラベルはもはや不要。その人が生前感じていた、ぽかぽかとその人を温めてくれたものをその外側にいる人間が断ずることなんてできない。
打算で集まった他人の寄せ集めでもいいんだよ。偽物だからこそ優しいという側面はあるけれど、他人だからこその距離感が人を幸福にしてくれることもあるんだよ。
最後の最後、写真のシーン。想像はついたれど、実際に見ると涙がとまらなかった。「俺の本当の家族だ」といって、ダー子やボクちゃん、巣鴨のキンタ・ギンコ、最後に愛した女性とともに写った写真を見た時の、目をつむった満ち足りた表情。
“偽物”というのも他人がつけたラベルだったんだって気づかされた瞬間。
もろくて柔らかくておいそれとは誰かに渡せない「何か」を体現してくれた素晴らしい役で、素晴らしい回だった。